敵は本能寺にあり

(C)1960 松竹
光秀はすでに決まっていた西国征伐の総大将を秀吉と交替させられた。天正十年、織田軍は甲斐の武田勝頼を天目山の決戦で潰滅させた。この功略に加勢した織田の客将、岡崎の徳川家康をねぎらうため、信長は光秀に接待役を命じた。光秀は礼を厚くしてもてなしたが、信長は光秀を家康と密通あるかのごとく叱責、ただちに秀吉の指揮下に入るよう命じた。光秀を憎む蘭丸の中傷であった。一門は激昂し、兵を挙げて信長討つべしと迫ったが、光秀は押さえた。一方、秀吉は忍者永井助松を放ち光秀の様子をさぐらせていた。助松は独断で、山陰の将毛利輝元の依頼できたと密書を光秀に届けた。ともに兵を合わせ信長を討ち、天下を掌中にしようと。

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